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会長挨拶・コラム COLUMN

平成24年10月:見えない力

第12代会長 藤井 亮輔 先生

正岡子規にクールビズの句がある。「涼しさや人それぞれの不格好」。褌、腰巻き…。明治期の涼をとる庶民の様子が目に浮かんで、楽しい。明日(9月19日)は子規の命日である。この秋暑、天界の文豪はどんな格好でうちわを扇いでいるだろう。

不格好といえば、「会長」というダブダブの上着を羽織って臨んだ1年。その通信簿を山形総会で押し戴いた。何とか及第点をもらえたが、ひとえに、会員と取り巻きの方々のおかげである。とくに、先の国会請願では、マッサージ診療報酬の値上げを求める1万3千筆の署名集めに奔走をいただいた。併せて、心からの謝意を捧げたい。

請願の結果は、残念ながら衆参両院とも審議未了。改めてリベンジを期すことになる。そこで、この請願の意義をおさらいし、最近、考えさせられたことを、若干つぶやいてみたい。

富岡兵吉先生(全盲)が東京帝国大学附属病院に病院マッセルの第1号として就職したのは1891年のこと。1本の苗は、やがて何万もの視覚障害者を支える太い幹に育った。少なくとも、病院就職が進路の花形だった1970年代までの理療科には、医療人を育てているのだという、誇りに似た空気が濃くあったように思う。

ところが、80年代以降、その幹は急にやせ衰え、統計上、あと10年も経てば病院からマッサージ師の姿が消えてしまう。医療の一翼を担ってきたこの道が廃れることになれば、理療教育の質が退歩するのは必至だろう。

この危機を回避するには、まずはマッサージの報酬を引き上げなければならない。患者一人にたった350円(理学療法士の5分の1以下)の実入りでは、マッサージ師の採用に病院が二の足を踏むのは当然だからだ。

マッサージの値段が不当に安いのは、マッサージ師の技術料が適正に評価されていないことに尽きる。81年に診療報酬の値札から「マッサージ」が削られて、医師の指示下なら誰でもできる「湿布」と「器具」(赤外線など)を併せたセットメニューに改められた。三つの療法を全部行っても350円という不条理な仕組みだ。料理になぞらえれば、専門調理師でないとさばけない「ふぐ刺し」と「ラーメン」「餃子」が、単品でもセットでも350円という話に等しい。技術料が「0査定」という意味においてである。

こう見てくると、今回の請願は「マッサージの技術を正しく評価してください」というお願いにほかならない。

そこで、はたと考えさせられる。捻挫一つ、病院で役立つ医療マッサージの技術をきちんと教えてきただろうか。ひょっとして、不条理を決め込んでいた「350円」は、自身のこれまでの教育の裏返しともいえないか、と。

五木寛之氏の『大河の一滴』に次の話が紹介されていた。

あるアメリカの生物学者が30cm四方の木箱に砂を入れ1本のライ麦を植えた。数ヶ月ほど水をやると、なよなよと苗は育つ。そこで箱を壊し苗の根の長さを測る。目に見えない根毛は顕微鏡で調べた。それを合わせると根っこの総延長は、なんと1万1200kmだったという。

その根から水や養分を休みなく吸い上げながら苗が命をながらえる。「命を支えるというのは、実にそのような大変な営みなのです」と、目に見えない力に、氏は感嘆する。

病院マッセルの幹の根を測るすべはないが、今の姿を見れば推して知るべしだろう。懐を少し深くして顧みると、この危機的な事態が「大変な営み」をおろそかにしてきた因果であることに気づかされる。根毛の営みは、医療マッサージの技術教育やエビデンス研究に通じる。この営みの中から芽生える見えない力は、きっと細った幹を蘇らせてくれるだろう。

小さくていい。泉下の恩人に左うちわの一本ぐらいプレゼントしたいものだ。