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会長挨拶・コラム COLUMN

平成26年1月:食材の偽装に想う ―― がんもどきの美学――

第12代会長 藤井 亮輔 先生

所帯じみた無粋をお許し願いたい。わが家では月に一度か二度、夫婦連れ立って近くのデパートで晩餐を取る習いになっている。ひいきのメニューは指折りあるが老舗のとんかつ屋が出すエビフライはなかなかの絶品だ。名は不明ながら、名古屋人の細君の目をなくしてしまうほどに美味である。

そのデパートが、である。事もあろうに全国紙の偽装店を告知する“ブラックリスト”に載っていた。有名どころのホテルやデパート名が出尽くす勢いの偽装報道に、あいた口がふさがらない。ただ、忘れていた大切なことを考えるきっかけを与えてくれた。その意味では感謝したい。

今回の騒動、偽装メニューの裏面に「どうせバレないだろう」の慢心が透けて見える。そこには消費者軽視の意識もさることながら「箔づけ商法」という、したたかな経営戦略が見て取れる。もとより、箔づけと偽装は非なる行為だが、「箔」が「偽」に化ける話はよくあることだ。

人の世界では詐称などという。罪は軽くはない。物の世界でもニセモノに目をこらす仕組みは念入りだ。例えば、流通する食品にはJAS法、食品衛生法、景品表示法などの網を幾重もかぶせているという。なのに、外食のメニュー表示はいたって寛大とのこと。「対面販売なので産地や食材を店の人に聞くことができるから」が理由らしい。

この大らかさ、人間味があって悪くはない。が、それも「信」あってのこと。ここまで信頼が揺らいでしまっては消費者庁がタガを締めるのもやむを得まい。そうでもしないと、善良な多くの店や料理人の浮かぶ瀬がなくなってしまう。

そのタガだが、メニューの偽装を景表法の「優良誤認」の罪、つまり、著しく良いものだという誤解を消費者に与える罪で縛るらしい。ただ、「箔」と「偽」の境界が判然としない。パナメイエビを「芝エビ」と偽るのはご法度だけれど、紙パックジュースを「フレッシュジュース」はおとがめなしという。発泡酒を「生ビール」と書くのはどっちだろう。左党の身には大いに気がかりだ。

ただ、老婆心ながら一言。「バレないだろう」の慢心を法で一掃しようとしても偽装は繰り返されるに違いない。客の力のほどが見透かされているからだ。業界ではブラックタイガーに「車エビ」の名を着せる習いも常態化していたという。それも客の非力ゆえに為せた業だろう。「客力」の足下を見て、悪しき商習慣に居座る業者や舞い戻る業者がいても、不思議ではない。

では、客力を鍛えるにはどうするか。打ち出の小槌などないことを思えば、まずは、味覚・嗅覚といった、「生き物」の五感を磨くのが一番の近道のように思う。なぜなら、店主に「ホンモノですか」と聞ける心臓があったとしても、偽装店舗だったとしたら、ペテン師にペテンかと尋ねるようなものだからだ。

ところが、五感を磨こうにも難しい時代になった。食材の旨みを味わったり、鮮度の良し悪しを見分けたりといった、生き物として当たり前の営みが非日常になってしまったからだ。背景には、現代人を覆う二つの「信仰」が深く関与しているように思う。

一つは、食材へのブランド信仰だ。「いただきます!」で始まる日本の食卓の風景は実に美しい。お百姓さんと生き物に感謝を込めて、と子どもの頃に教わった。ごはん一粒に厳しかった祖父を思い出す。生き物の恵みを優劣の隔てなく大切にする空気が日常にあった。それがいつの間にか、品種や産地の冠だけで食材の価値を上と下に分ける風が広がった。

コラムニストのブルボン小林さんが書いていた。「我々は物を食すとき言語も食べている」と。ブランド信仰の本質を射貫いた至言だ。「頭」で食べるようになった日本人への警鐘でもある。

もう一つは賞味期限への信仰。人間はほかの動物と同じように自らの鼻と舌を使って食べ物が危険か安全かを見分ける習性を染み込ませてきた。それが、印字された年月日だけで判断できるようになったのだから「賞味期限」は文明の利器というほかない。かくして現代人は、食の危険度を数字に置き換える利便を覚えたことで、嗅覚や味覚といった優れたセンサーを錆びつかせてしまった。「数字も食べている」ことの副作用は大きい。

この二つの信仰心に通底するのは、「人間は生き物」という絶対的な思想性を忘れてしまった現代人の傲慢さ、と見る。そうだとすると、この一連の騒動、傲慢が欺瞞を呼び込む物語の風刺絵に見えて、どこか滑稽だ。

ところで、この絵図にあん摩界の景色が重なる。無免許の「もどき業者」が大手を振って跋扈する摩訶不思議な景色が、である。

言うまでもなく、あん摩やマッサージは専門の知識・技術がなければ健康に害を与える危険がある。だから、あん摩を行うには、そのための公教育を3年間修めてから国家試験に合格した上で厚労大臣の免許を受けなければならない。これに違反すれば罰金刑や懲役刑が科されるのも、この免許の重みゆえだ。

それなのに、名前をあれこれ偽って無免許あん摩を行う業者の看板が巷に溢れる。およそ法治国家にあるまじき景観と言わざるを得ない。

三療(あん摩・はり・きゅう)の市場規模は3200億円ほど。一方、「もどき業者」の市場は「ボディケア」「クイックマッサージ」「リフレクソロジー」だけで推計1千億円を超える(矢野経済研究所調べ)。他に「エステ」「タイ古式マッサージ」「中国推拿」など、あん摩の偽名を挙げればいとまがない。これにカイロプラクティック・整体などの禁止療術を加えると、9000億円市場とも言われる(『週刊東洋経済』による)。看過できないのは、こうした手技で危害を受ける国民が増えていることだ。

国民生活センターによると、2007年からの5年間に寄せられた危害件数は825件。その約8割が医療機関を受診していた。四肢マヒなどの重症例も少なくないという。視覚障害業者とその家族の生活を著しく圧迫している問題も思うにつけ、無免許あん摩の罪の深さは、食材偽装の比ではない。

さて、ひいきのエビフライだが、店主に聞いたら“ブラックタイガー”と判明した。「ブラック、大いにけっこう!」。君の名誉挽回を願いつつ、これからは本名で出てきてほしいと思う。「もどき業者」もしかり。本名の「無免許あん摩」を堂々と名乗ってはどうか。ニセモノを任じて意地を通した「がんもどき」の美学に学んでもらいたい。