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会長挨拶・コラム COLUMN

平成26年4月:大雪雑感 ―雪ダルマは消えていなかったー

第12代会長 藤井 亮輔 先生

27センチ。書き手の足のサイズではない。2月の東京に積もった雪の丈である。雪国の地方には恥ずかしいほどの大見出しで新聞各紙が1面トップで報じていた。そこのところは、「45年ぶり」の異変に免じてお許しを願うとしよう。

東京という街は雪への免疫不全体質を任じてはばからない。今回も予想に違わず、交通網が寸断されケガ人が続出し野菜の価格高騰が続いた。理教連も研究発表会の中止を余儀なくされるなど、学術界にも影響が及んだ。

ただ、雪で都心のデパートが早じまいした記憶はないし、地下鉄が止まることなど想像だにしなかった。在来線と地下鉄の乗り入れが進む東京圏の便利さは過疎地を尻目にさらにアップしたが、その代償を払わされたかっこうだ。たしか、雪を「白魔」と詠んだ歌があったと記憶する。その邪気は、浮かれているところを好んで冒すらしい。

余談ながら当方、当日の雪かきで不覚をとった風邪を、ひと月経ってなお引きずる始末。白魔、恐るべしである。

雪害でいえば、甚大な被害を受けた山梨県。当地の盲学校は大変だったろう。とくに、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家試験を間近に控えた生徒さんの消耗は察して余りある。仮に、東京ルートが復旧せず再試験を余儀なくされていれば、彼らの負担は計り知れなかった。保護者の献身があったとも聞く。そうした心労や努力があって最悪の事態は回避できたが、視覚障害者の遠隔地受験の在り方を図らずも問いかけてくれた大雪だった。

ところで、「観測史上初」とか「何十年ぶり」の冠をつけた自然現象が頻発している。この1年だけで十指に余るだろう。2週続いた45年ぶりの「27センチ」に、ただならぬ異変が地球規模で進んでいることを、改めて思い知らされた。同時に、異変は自然界だけの現象でないこともこの雪に教わった。

雪が積もれば、一昔前なら戯れる子らの姿が当たり前のようにあった。そして賑わいの跡には雪ダルマが点々と残されていたものだ。それが今回は、自宅の周りにも大学の中庭にも、その姿を見かけなかった。3月中旬に訪ねた札幌でも感じたことだ。

少子化やゲームの普及が一因だろうが、それ以上に、雪ダルマの作り方や魅力を伝える親世代が激減しているのではないか。たかが雪ダルマ、されど、あの造形には文化然とした風情がある。それが世代の断層であせていく「異変」に寂しさを隠せない。今年の雪景色は、そんな感傷が重ね書きされた像として、記憶に残るのだろう。

この記憶、今ごろは製造工場の「海馬」の出口を出て、長期保存庫(大脳皮質)に送られているところだろうか。とはいえ、記憶は留まりにくく薄れやすい。だから、忘れてはならないもの、例えば、カードの暗証番号、愛読書の大切な一節、細君の誕生日といった茶飯でさえ、それを保つのに人は一定のエネルギーを費やす。 v

ましてや社会や人類が忘れてはならない無形の文化、戦争の悲惨さ、災害の教訓といった記憶の継承は、語り継ぐ地道な作業を続けることでしか、後世には残せない。

一方、人間の住まう社会では、厄介そうなことには往々、「消去」の力が働く。故意か否かは別として、大衆の「海馬」の出口にフタをかぶせる人為だ。とかくマイノリティーの痛みや苦悩が人々の記憶から薄れ、やがて忘れ去られるのは、この人為によるところが大きいと思う。

理療の社会に沈殿する課題も、内実はマイノリティーの問題である。本科保健理療科(本保)の「国試問題」は、その典型といっていい。

問題の発端は、あはき法の抜本改正が行われた1988年の前夜に遡る。法案審議の過程で、最後まで関係団体間の意見が折り合わず「宿題」となった案件だ。

あはき法の逐条解説書(厚生省医事課編)に簡単な記載はあるが、四半世紀も店ざらしにされたことで風化が著しい。だからといって「宿題」に頬かむりは許されまい。次の世代へのつけ回しにすぎないからだ。当時を知る人の役目は、かけらでもいいから知っていることを語ることだ。「宿題」に向かう第一歩と心得たい。

以下、駆け出しの法制部員が見聞きした当時の記憶をたぐりながら、顛末の一端に触れてみようと思う。

この議論が始まった87年時点でも、あはき教育は未だ中卒課程の水準で、免許権者も都道府県知事のままにあった。その間、医学教育の進歩を背景にコメディカルの養成は高卒3年、身分は国家免許が通例になっていたから、これと同等に三療を引き上げることが、当時の業・教育界の悲願になっていた。

こうした中、資質向上を骨子とする改正法案が俎上に載る。が、一律に高卒課程にすれば中卒者への影響が大きいとして文部省サイドは中卒課程の存続を主張。一つの見識である。これに対し、理教連を含む関係7団体は、①資質向上の趣旨に反するばかりか、②国試に合格できない生徒が大量に生まれかねないとして、その廃止を求めた。

けっきょく時間切れで、妥協の産物の「当分の間」を頭につけた特例法18条の2が成立する。「当分の間」の解釈はあいまいながら、「10年ほど」というのが当時の暗黙の了解事項だったと聞き及ぶ。

あの「約束」から足かけ27年。奇しくも冒頭の数字と重なるが、毎年の中卒課程の合格状況や2度の実態調査の結果は、当時の懸念が杞憂でなかったことを示している。

第21回試験(前回)の中卒者の合格率は47%で、専攻科卒業者の76%を3割近くも下回った。問題なのは、複数回受験しても合格できないままコースアウトする人たちが累々と増えていることだ。その割合は最初の10年間で17%(271人)だったが、次の10年間では22%(136人)に増えていた。『理療教育研究』の26巻、35巻、36巻に詳しいので、ぜひ一読をお勧めする。

「回」の数が増えるほどに大きくなる様を「雪ダルマ式」という。そう、雪ダルマは消えていなかった。この3月、また大きくなって社会の片隅で耐えている。夢を諦めた悲しげな目に想像力を働かせよう。理療科教員の行動原理だ。